こんにちは。
撫の樹の馬塲と申します。
私の母はアメリカで妊娠し、私は愛知県知立市で産まれ育ちました。
というのも、私の父が海洋地質学の博士号取得のため、アメリカ留学をしていた際に母と出会い結婚したからという経緯があります。
そのままアメリカで産まれていたら私の人生は全くちがうものになっていたのかもしれません。
私には4才年下の妹がいるのですが、福山型筋ジストロフィーという先天的な特性をもっています。
妹のこともあり人の体、健康について昔から興味があった・・・訳ではありません。
私がどうして整体を学び始めたのか少しお話させて頂きます。
それゆけアンパンマン!
皆さんはアンパンマン、知ってますよね?
アンパンマンにポットちゃんという、なんとも可愛らしいキャラクターがいることをご存知ですか?
幼少期の私は、妹が産まれた時に「ポットちゃんだ!」と思ったんです。
妹は目鼻立ちが整っていて、とくにまつ毛はザ・美人といわんばかりのパーフェクトまつ毛です。
そんな妹が比較対象になってしまった私は、容姿について日常的に否定されるようになります。
自分の容姿が悪いせいで苦労した祖母は私の将来を酷く心配し、母親からは容姿を磨くようにと常に言い聞かされました。
筋ジストロフィーの妹は容姿もよく、1人ではいられないため家族から大切に扱われていました。私はどうしたら自分の事も見てもらえるのかな? そんなことを考え始めていました。
母は、もともと行儀が良く世間的に体裁のいい私には多くのことを求めました。上手にやれたら褒めてもらえると思った私は精一杯いい子を演じていましたが、褒めてもらえた記憶はあまりありません。
この頃、父方の祖母が実家の近くへ引っ越し、そこで私の小さな居場所を見つけます。父と祖母の関係は良くなく、特に父は面と向かって話すのが苦手だった為、なぜか私が伝言係りになり2人のメッセンジャー的ポジションになりました。楽しい時間ではありませんでしたが、役に立ちたい一心で頑張っていました。
小学生の頃、幼馴染だった女の子が小児がんで亡くなりました。
妹の体調も良くなく、私は生きているだけで幸せだと思うようにと言われたことを覚えています。生きているだけでは幸せにはなりません。
その結果として、私の体には様々な症状が現れ始めました。
低血圧から始まり、全身のだるさ、胃腸トラブル、拒食、パニック障害、会食不安、口の異常な乾き。
修学旅行にも行けませんでしたが、私立の中高一貫校へ行かせたい親の希望を叶えるために塾から帰るのは23時過ぎでした。
無事に私立中学の合格を勝ち取った私だったのですが、クラス内で評判の悪い子が一人でいたのを不憫に思い、友達の輪に入れた途端、その子から嫌がらせを受け不登校になりました。
毎日家にいる娘は体裁が悪いと判断されたのか、私は沖縄にあるキリスト系アメリカンスクールへ島流しの刑にされました。
ニャンですかこれは?
島流しの刑にされた私は、沖縄で両親の知人であるハタチの女性とルームシェア生活をしていました。しばらくすると、奔放なシェアメイトさんの生活をフォローする生活にストレスを感じはじめ外耳炎を発症。左耳が聴こえなくなりました。
沖縄島流しから無事に生還し愛知へ戻った私でしたが、高校へ通える健康状態ではなく、進学はしないことにしました。
両親から18歳までに大検が取れなければ留学させると言われ「それは嫌だ!」と焦り、16歳で大検を取得しました。
その頃の私は、音楽とファッションにのめり込んでおり、グッズやお洋服を購入するためのお金が必要だと感じていました。
当時個人的に欲しい服がアメリカのインターネットサイトに販売されていたのに目をつけ、アメリカから洋服を輸入して販売する、今でいう所のECサイトを立ち上げビジネスを始めました。
まだ珍しいタイプの服だったということもあり、未成年の私が遊ぶには十分なお小遣いを得ることができました。時々ライヴで訪れる東京に対して強い憧れがあり、家を出て自由になりたいという想いも強くなっていきました。
このまま吟遊詩人になりたい。
そう考えていた私でしたが、両親から「大学に行ってくれ。大学に行くなら東京での生活費を出してあげる」と交渉され、1浪して美術大学へ入学することに成功します。
東京で独り暮らしを始め、美大へ通い始めた私でしたが早速ガッカリしていました。
美大の生徒さんというと、精神的に病んでいて、どこか闇があって、おどろおどろしくて、いかにもアーティストなイメージを勝手に膨らませていたのですが、想像以上に普通の方々が多く、思っていた美大生活とは大きくかけ離れていました。
とはいえ、家から開放されて大好きな東京に住むという夢が叶ったのに、体調は依然として悪いままでした。
眠れない、食べられない、混んだ教室では動悸が止まらない……。
大学の友人たちからおかしな目で見られたくない一心で、病院へ行きました。
お薬を飲むと少し楽な気分になり、いつの間にかお薬を飲み続ける日々が始まっていました。
無事に美大を卒業した私は就職活動はせず、大手出版社でのアルバイトを始めました。
大手の出版社ということもあり、正社員ではありませんでしたが両親も喜んでくれたようでした。
しかし、3か月で辞めることになります。
母からは怒られ、母伝てに父も失望していると聞きました。
今思えば、父の性質からして私を責めるようなことは考えにくいのですが、この時には家族全員から見捨てられたと感じました。
その頃丁度、知人女性からお金を騙し取られるという事件もあり、私はベランダで独りゴロゴロしながらあることを考えます。
「あー、死にたいなー」と。
完全にうつ病となった私でしたが、当時長年ファンだったアーティストの方へファンレターを出したところお返事を頂くことができ、なんとか生き延びます。
両親の勧めもあり、暇にしているならと文芸学部のある大学院へと通うことにしました。
意外にも、美大生よりも文芸学部に通っている人たちと意気投合し結果としてとても楽しい学生生活を送ることができました。
大学院を卒業した私は、新たな職として昔から好きだった文字を書くことを仕事にするべくフリーランスのライターを始めます。
ライターの仕事内容はとても面白く、私に向いているなと思いました。
しかし、神様はそんなに甘くありませんでした。
乗り越えられそうで、乗り越えられない壁を与えてくれます。
業界の風習なのでしょうか。
フリーランス女性に対するパワハラ、セクハラの連続に疲弊していきました。
私は再び職を探します。
そんな時でした、友人からエステの仕事を勧められたのは。
体力もないし、気力もない。
でも、お金もない。実家に帰るのだけは嫌だ。
もはや高収入ならなんでもいいと、試しにエステの仕事に挑戦してみました。
すると、意外と楽しい!?
なにこれ?なんか楽しい!!
この時はじめて人の体に触れる仕事の楽しさを知りました。
最初の店舗でも、次の店舗でもすぐに売り上げ1位になりました。
もしかしたら、私に向いている仕事はこっちなのか??
まだ半信半疑でした。
楽しくエステの仕事をしていた私でしたが、そんなわけない、きっと私は「美容の仕事」自体に向いているんだろうと思い、化粧品の会社へ入社します。
ディレクター、制作会社、広告代理店、ライター、広報を兼任し、今までのスキルを総動員して働きました。
しかし、某コスメ大賞を獲得するまで頑張って働いた結果、肝臓を悪くします。
化粧品の会社を退社することになるのですが、ふと頭によぎるのはエステの仕事が楽しかったこと。
いやいや、そんなわけない。
肉体労働は向いてない。
そんなわけない。
そんなわけない。
そんなわけにゃーがね!(名古屋弁)
名は体を表す。
私の名前は言葉(ことは)です。
昔から名前の通り、言葉を大切に生きてきました。
お客さんの体に触れ、言葉に触れ。
お客さんの気持ちに合った言葉を届ける。
ライターのように読み手の顔が見えない仕事ではなく、対面し、直に触れ、時間をかけて伝える。
私にとってこんなに刺激に満ちていて、楽しい仕事は今までありませんでした。
始まりはエステからでしたが、マッサージ、スポーツマッサージなど様々な手技、知識を学ばせてもらいました。
その中でも、じっくりと時間をかけて筋肉をほぐし、気持ちを整える手法が私には向いているなと思えたのです。
そんなわけあったがね(名古屋弁)
私はお客さんの身体のメッセージを心へ伝える。
私はお客さんの心のメッセージを身体へ伝える。
身体と心がバラバラになった疲れた人たちを元気にする。
いわば、身体と心のコミュニケーションを仲介するメッセンジャーです。
目の前のお客さんの中に不調の答えも、健康の鍵も隠れています。
何1つ見逃すことなく。
汲み取り、伝える。
足りないものは私の知識と技術で補う。
私は撫の樹で、私の理想の整体を学び実現するために日々努力しています。
皆を元気にしたいと願う私の想いが伝わると信じています。
I inform the message of your body to your heart
I inform the message of your heart to your body
腸と心の整体院 撫の樹
馬塲言葉(ばばことは)